余命宣告

ちょっと難しい話しですが・・・。

「アナタは自分が余命3か月だと診断されたとき、はっきりと言ってもらいたいほうか、それとも亡くなるまで黙っていてもらいたいほうか」と聞かれたら。

ワタシは間違いなく、「はっきり言ってくれ派」であります。

子供達に言いたいことを手紙に認めたり、身辺整理をしたり、したい事がいっぱいあるじゃないですか。

本人はいなくなっちゃうから良いですけど、このままでは残された人達が色々と苦労するのが目に見えています。

ですから、金銭的なことも含め、自分の身辺を整理する必要があるんじゃないかな、と。

ワタシはそう思うわけです。

ですからカミさんにも、嘘をつかず、何かあったらきちんと話して欲しい、と言っています。

ちなみにカミさんは「アタシが余命幾ばくもないとなったら、聞かせずに知らないままでいさせて」と言っていました。

ワタシとは対照的ですね。

それでもワタシは、絶対に言ってもらいたい派です。


しかし・・・反対の立場、つまり「宣告する立場」だったら迷いますね。

父や母がそういう状態になったら、果たしてワタシははっきりと話してあげることが出来るでしょうか。

あまり自信はありません。


・・・なぜ突然こんな事を考えたのかというと。

最近身近な親戚で体調を壊し、入院した人がいるのです。

先生からは、「もうこれ以上は治療をすることが無い」と言われてしまったようです。

しかし、本人はその事を知りません。

何だか体調を壊しちゃって、ちょっと入院したんだよ、という感じです。

ワタシはその人の家族ではないので、イエスともノーとも言えませんが、本人は知らない方が幸せなのでしょうか。それともはっきり言ってあげた方が幸せなのでしょうか。

家族や親戚の間では、特にきちんとした説明をしない方向で話がまとまっているようです。

ワタシがもし患者の立場だったら・・・。

自分に投与されている薬や点滴などをインターネットで調べちゃいますよね。

それで本当に「聞いている」病気なのかどうか、ある程度わかるじゃないですか。

余命を宣告するのかどうか。

宣告するのは冷たい気がしますし、宣告しないのも可哀想な気もしますし・・・。

難しい問題です。

スポンサーリンク
レクタングル(大)

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする

スポンサーリンク
レクタングル(大)