考えが古いのかも知れませんが、ワタシはどうも「ら抜き言葉」とやらが好きではありません。
「食べれる」などですね。
「食べられる」と言いましょう・・・と、大きな声で指摘したくなります。
でも、最近は「ら抜き言葉」を使う人って、多いんですよね。
ワタシはだんことして「らを入れて」話すようにしていますが、コレも時代の流れというヤツなのでしょうか。
他にも、「さ入れ言葉」も好きではありませんし、コンビニで買い物してお札で支払ったときの「1000円からお預かりいたします」と言われる、この「から」って何だよ、「から」って!!・・・と。
「1000円お預かりしますで良いじゃん!」と言いたい今日この頃です。
でも・・・
言葉って、そうやって刷新されていくんだなぁとは思います。
60年以上前に日本からアメリカに渡り、そのままずっとアメリカで暮らしている人と話した事があるのですが。
60年アメリカに住んでいるとは言っても、60年前には日本に住んでいた純粋な日本人だったわけですから、当然日本語はぺらぺらです。
でも、この人の話し方って、ワタシの耳にはちょっと不思議なトーンで聞こえました。
「言葉が古い」んですね。変な意味じゃ無くて。
口調やイントネーションが、今のワタシたちとは微妙に異なるのです。
この人が話す日本語は、60年前の日本語なんですよね。
ワタシはこの人の話し方を聞いたときに、「ああ、やっぱり言葉は進化しているんだ」と感じた次第です。
そんな訳ですので。
「ワタシは」ら抜き言葉を認めないのですが、ら抜き言葉を使う人がいるという事については、致し方ないと感じているわけです。
そういえば、「あたらしい」という言葉も大正時代には「あらたしい」と言っていたそうです。
いつの頃からか、「あらたしい」が「あたらしい」に変化していった模様。
そう考えると、ら抜き言葉も定着するであろう事は、推して知るべし。
しゃーない・・・って事ですか。
ま、納得はしたくないですけどね。ワタシは。